本に殴られたい。

物理的ではなく。

文章を壊していく

 


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澤村伊智さんのアウターQを読みました。

 

主人公は弱小ウェブマガジンで記事を書いていく湾沢陸男。

なんだか優しそうだし、仕事上とはいえ落ち込んでる初対面の人を慰めたり、仕事も真面目にこなそうと奮闘する若者で好感が持てました。

 

井出さんというカメラマンと共に仕事をしたりするんですが、

この井出さんの喋り方がツボ。

 

「ちょっとアレをアレしてたんで」

「テレビのアレをアレしない?」 

「でもせっかくアレなのに」

 

何言ってるかわかんないよ!笑

でも不思議と嫌な感じはなく、主人公の湾沢さんもこれってこういう意味なんだな、と解釈していってくれるので読んでいてストレスがない。即通訳してくれる人がいるって最高ですね。

 

井出さん、そんな不器用な性格で生きてきたら大変だろうけど、湾沢さんみたいな人がそばにいてくれて最高じゃないか、よかったなぁとほんわかしました。

この人がいてくれて本当に良かったね、あなたの人生はある意味守られ、素敵なものになっている、と「老人と海」を読んだ時みたいな気持ちになりました。

いつかそれの感想も書き留めたい。

 

 

不器用な人が生きやすく助けられている光景ってなんだかホッとします。

 

こうやって言葉をアレばっかりにして文章を壊していくのなんだかロックでいいです。

かといってそればかりは勿論推奨しないんですけど。

 

 

ほんわかで終わる話ではないけど、読みやすくて良かったです。

 

 

余談

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表紙手前の一番大きく描かれたキャラが主人公だと思っていたら、違うよ、と人に教えて貰いました。

よく見れば、確かにカップ酒を持っている。

このキャラクターもしっかりした子で好きでした。

なんだか「ぼぎわんが、来る」の比嘉姉妹みたいにシリーズ物にできそうな雰囲気の作品でした。

 

 

 

 

 

親友の辞め方

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西加奈子さんの「iアイ」を読みました。

 

私には親友がいます。

こんなこと正気で書けるのってめちゃくちゃ運が良くて、恵まれていると想う。

でも、人間関係だからいつこの関係が壊れるかも分からない。

 

壊れる瞬間のことを思う。

一度、その覚悟を自分の中でしたことがあった。

彼女が怒っていて、でも怒っている理由は言ってくれず、なんだったら怒ってるのに怒ってないと言い張られる。

美術館に入ってからも、余り美術品に集中出来ず、親友も私と見たくないんだろう、どこかに行ってしまった。

 

 

「あぁ、もしかしたら今日は彼女と親友であることが終わる日なのかも」とぼんやり覚悟をした。

 

 

まだ実際に決別を言い渡されてはおらず、現実味もそれ程大きくなかった。

買いたてのアイスが一口も食べられないまま地面に落ちてしまったのを見ているような、とにかくしょうがないという気持ち。

 

親友のことが好きだから、自分といたくない、もう親友じゃないという気持ちを受け入れたいと思った。

それが自分なりの愛情だし、無理に引き止めてももうそれは友情ではないんだと。

時間が経てばもしかしたらまた友達になってくれるかもしれないし。

 

期待と軽い喪失感を抱きながらお土産コーナーを見ていると、笑顔でごめんねー!と親友が駆け寄ってきてくれた。むすっとしていた理由も言ってくれた。

嬉しかった。

彼女が謝ろうと思う時どんな気持ちだっただろう、私とのコミュニケーションの誤差を埋めようと決意し、朗らかな雰囲気にせねばと笑顔で駆け寄ってきてくれたこと。

 

大喧嘩をしたわけじゃなし、大げさだとも思うんだけど、

彼女がそうしようと決意してくれたことが嬉しかった。

 

 

彼女と決別の時がきたらそれは受け入れようと思ったのは、

彼女への感謝と、それまで仲良くしてきた時間と気持ちはなくならないということが自分の中ではっきりとあったから。

 

作中に出てくるアイとミナの関係を見ていて、親友や、友達も、好きな人はみんな、自分を作ってくれる大切な人達だよなぁと思いました。

 

「i」は、沢山見ているわけではないですが、震災を扱っている作品で初めて嫌な気持ちにならなかった作品でした。

 

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海馬の尻尾

「海馬の尻尾」 

 

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主人公は恐怖という感情を持たない「反社会性パーソナリティ障害」である。

 

反社会性パーソナリティ障害とは?

 英語だとAntisocial Personality Disorder、ASPD。

人の感情を軽視し、暴力を振るいやすい傾向があるパーソナリティ障害。

 

 

 

主人公の及原はヤクザ。

強いが人に対する良心がなく、しかし恐怖を感じないからこそ

ここまで来れているんだろうと思わされるキャラクター。

 

このキャラクター、寂しい。

人に酷い事をしているのだが、読んでいると「でもいい人になれるよね?反省していける人に。

だって寂しいよ、こんなの」と思いながら読んでしまう。

 

子供の頃親から酷い虐待を受け、愛情も貰えず育った及原の事を思うと、

「そりゃ自衛の為にそう考えるしかない」と思ってしまう。

それに現在出世も危うい、いや、可能性がどんどん無い事に気づいていったり、

部下に舐められていくのである。

寂しい。

そんな寂しい状態の時に、及原は「いや、今は別に文句を言わなくてもいいかな、って思ってるだけだから言わないだけだし。こいつがもっと怒ってきたら嫌だからやめてるわけじゃないし」

みたいな事を思ってるシーンを読むと

ヒェェェとなる。

自分にもよくあるこの言い訳!

私別に独りが寂しいんじゃなくてひとりの時間を持ちたいだけだし、逆にね?

と自分に言い訳をしていく感じ。

 

 

 分かる!!

 

 

 

だから私は読んでる間ずっと応援していた。

読みながら他のキャラクターに「違うんです、本当はいい人になれるんです」と弁解をしながら読んでいた。

 

 治療をする為に行く病院で出会う、病気を患っている小さな女の子がまた可愛い。

その女の子が向けてくる強い無邪気さと、懐いてくる可愛らしさが及原の気持ちを変えていくのだ。

 

 

 読んでいて思った。

 人が人に向ける愛情を応援する事はすごく嬉しい。

応援する事が嬉しい。


理由を考えてみると、間接的に私も応援する事で愛情を向けているからだと思った。

 

愛情を向ける事自体が自分の幸せになりうるのだ、とこの本を読んで知った。